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海図のはじまり

日本の海図のはじまりは?
豊臣時代は御朱印船貿易が盛んで、当時のヨーロッパで使われていた「ボルトラノ海図」が日本でも多く作られ、船乗りは遠く離れたルソン、カンボジャ、シャムなどの南の海に出かけて行きました。 徳川時代(寛永10年)、日本は鎖国令のため海外渡航が禁止され、海図が縁のない時代が続きました。日本に鎖国を止めるように求めてきたロシア、フランス、イギリス、アメリカなどの国々は、航海安全の必要上ということで測量を行い、それぞれ自国の海図にその成果を記入していました。幕府はこうした外国人の手によって日本の沿岸が明らかになっていくことに国防上の不安を感じ、自らの手で測量を行い、必要な海図を出す決意をしたのです。一方、日本沿岸から瀬戸内海への西廻り、東廻り航路が発達し、沿岸航海用の質素で実用的な航路の案内図-「海瀕舟行図」などが多く作られ、北前船などに利用されました。

「海瀕舟行図」児島

「海瀕舟行図」大坂

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